常識と言われていること

敬語と謙譲語を間違えてはいけないとか、豆腐は1丁、2丁と数えるとか、ドアは右手で開け閉めするとか、知らないと恥をかくと言われてることは沢山ある。
でもさ、俺はそんな知っていれば○、知らなければ×みたいな常識は凄く滑稽だと思う。
もともと誰かが始めただけなのに、それを知らないだけで相手を見下すような奴には、人を見抜く事は出来ない。
ウサギを一匹と数えてはいけないのは、1羽と数えると言う常識があるから。
そもそも、1羽って数えるのは、昔ウサギが鳥だと思われていて、鳥と同じ数え方をしていて、それが習慣化しているからだけなのだ。要するに、勘違いをずーっと受け継いでるだけなのだ。
それから、取引先の会社に行く時、エントランスに入る前に上着を脱ぐのが常識。なぜかというと、上着を着てはいると、「あなたの会社は暖房が利いていないので、寒いです」と言う嫌味の意味があるからだとか。
何処まで卑屈なんだよ!妄想癖だね。

それから、正しい日本語とかってのもそう。若者の言葉を乱れてると批判する親父が、正しい日本語を守りたいとか言うけど、何様?
若者のそれは、日本語が正しいとか正しくないとか、そういう次元で話すことではない。独自のコミュニケーションツールだよ。そこに精神性が現れた場合に、その精神性を批判する時はOKだと思うけど、言語に対する批判はおかしい。唯一、「格好悪い」とかの主観的な判断は許される。
言葉は時代に合わせて常に変化を遂げるものだから。親父達が使ってる正しいと思ってる日本語だって、100年前の日本語から見たら随分変わってるしね。
ことわざとかも変だね。もちろん、知っていて損をすることは無いけど、知らない人を馬鹿にするのもどうかな。だって、もともと誰かが使った比喩表現でしょ?それを沢山の人が使うようになったってだけで、もし、現代では殆どの人が知ってて、日用的に使っているのなら知らないのも恥だけど、殆ど聞いた事ねーよってことわざ、知らなくたって全然恥じゃない。むしろ、知ってるからってえらそうにしてる方が恥ずかしい。


結論。マナーも大事だけど、マナーに固執するのは頭が悪い証拠。知識の量にすがって、劣等感を隠してるだけだ。本当に大事なのは、マナーよりも信用だ。