最近、また寒くなってきた。

人の人格を形成する、大きな要因の一つに、コンプレックスがあると、俺は考える。ってか、ある。
コンプレックスが強い、弱いだけでなく、そのコンプレックスとどう向き合うかということも含む。性格が○○だから、コンプレックスと△△のように向き合えるというのもあるので、コンプレックスと自分の関係だけでは、全てを語ることは絶対に出来ないけど、コンプレックスとの向き合い方が変われば、その人の振るまいが大きく変わるのは間違いない。コンプレックスが無いって思ってる人もいると思うけど、それはそれでコンプレックスのカテゴリーの一つだ。そもそもそんな人はやばそうだけど。

コンプレックスを受け入れて、自尊心を獲得した人と、そうでない人で、タイプは大きく2分する。後者は、傷つかない事が、もっとも大きな目的。
どうしても損をしやすい。

コンプレックスと前向きに付き合うようにするには、自分を受け入れる事から始まる。自分を受け入れるということは、虚栄心を持つことではなく、ダメな自分をダメなまま受け入れる事だ。そして、自分の欲求に向き合い、欲求を高めていける人だ。

コンプレックスを受け入れてる人の目的の比重は、彼女が欲しい>自分を守る。末期だと、自分を守る>彼女が欲しい、となる。

前にも書いたけど、コンプレックス反応が強くなるのは高校生くらいから。初期段階できっかけ(モテるとか)があれば、かなりの確率でコンプレックスと前向きに付き合う事が出来るようになる。初期段階では防御反応も薄い。
最初は、彼女が欲しい>自分を守る。末期だと、自分を守る>彼女が欲しい。に変わっていく。振られ体験がそれを加速するという意見もある。振られても、傷つきたくないので、振られたことを、上手い具合に理論付けたり、相手のせいにしようとしたりする。しかし、これは正しい理解には絶対に至らない。理論的に、至る事は出来ない構造になっている。
さあ、なぜだろう?これで分からなかったり、無理矢理自分の解釈を理屈で証明しようとした人は、もう一度考え直した方が良い。
この、鶏が先か、卵が先か的な考えをやめ、どこかできっかけを掴むアクションを起こすべきなのだ。(時々ふときっかけは向こうからもやってくるけど)
一番簡単なアクションを例で言うと、本当に好き合える彼女(彼氏)を作れ!ということだ。
ダメ人間はこの文を呼んでしまったばかりに、本当に好き合える彼女が出来ても、自分の卑屈な部分を変えないように頑張ってしまったりしそうだ。これが俺なんだとか言って。自分が成長することより、自分が負けない事の方が大事だからね、その人は。

このことに深く言及すれば、本が一冊出来そうだ。親父的表現だけど、要するにもう書くのが面倒くさくなった。


上の理屈にたいして、コンプレックスを受け入れることの出来ない人の反論が聞こえる。言っておくけど、全て想像の範囲を超えない屁理屈だ。それらの反論に付いて、殆どは俺は想定しているし、反論も用意してある。それは屁理屈ではなく、真実だ。


こんな事を書いてる理由は、自分の卑しい欲求を満たすためにだ。それもあるし、良い奴なんだけどもったいないなーって人が、何とかなれば良いなーと思うから。本当だぞ!