俺も夢想した

昨日の話のような事は、中学生くらいの時によく考えていて、最近、ふとまた話題に上がったので書いた。

加害者と被害者とまたその周囲の価値観から全て独立した視点で考えると結論が出てしまう。

殺人のない社会はあり得ない。環境が犯罪者を作るのもその通り。やられたらやり返すより、なるべく同じ被害が今後起こらない社会を作ることを考え、それに即したシステムを作ることも理想的な考え方だと思う。

しかし、それは夢でしかない。
宗教紛争の問題よりは、共産主義の問題の方がそっくりだ。

結局、システムの中に人がいる限り、理想のシステム(ってか思想)は永久に実現されない。
全員ロボトミー手術をするとかしないと無理。

その理想を、システムの中にいる全員が本気で信じらなければ、意味がない。ずるがしこい奴だけが美味しい思いをしてしまう世の中なんていやだよね。
もっと書くと、理想のシステムの実現により、愛されたい人間の、愛されたいがための事件が増える。万引き感覚で殺人が起こる。



だって愛されたかったんだよ。そうか、可哀想によしよし。


愛されて、認められて育った奴は殺人を犯さないか?
よーく考えてみよう。
愛されず、認められず育った奴は殺人を犯すか?
よーく考えてみよう。


被害者と加害者の間で復讐としての殺人を選択した場合。
「復讐せずに更正を望むことを諦めたって意識をもて」というのは、甚だおかしい。順序が逆だ。復讐をあきらめて、更生を望むんだ。復讐をせずに更生を望むことが前提であるというのは、理論的におかしい。原点はそもそも、やられたらやり返すだ。
かといって、それをずーっと続けていてもオワンネーヨって事で、法律が出てくるでしょ。第三者が介入することによって、アホの連鎖を断ち切る。だから法律に復讐の代行をやってもらうことで、当事者は心の安定を何とか保つ。それをあきらめた時、初めて復讐をせずに更生を望むという行為に逃げる事になる。

大切な人が虐殺されて、「どうしてそんなことしたんだ。話してごらん」なんて話合いを求める奴が、本当に被害者を大切に思っていたとは思えない。だから、人を本当に大切に思ったことのない人間だけが、そうした夢を見ることが出来る。

イラクで殺されたジャーナリストの奥さんが、旦那を大切に思ってないって言ってるんじゃないよ。むしろ、あの奥さんは、旦那を大切に思っているから、旦那が死を覚悟してまで危険な地域に赴いてきたというプライドを守ろうとしただけ。
あの旦那が日本で見ず知らずのちんぴらに殺されたら、「覚悟はしてましたから」なんてぜーったい言わないよ。言ったらバカだって。