絶対負けないパーソナリティ障害

タイトルのような障害は、俺が勝手に今付けた名前で、誰にも認知されてない。

いつも気になるんだけど、改札とか、エスカレーター乗る時とか、凄い混んでて、みんな並んでるのに、無理矢理に鞄とか左腕とか、強引に割り込ませてきて、俺の後ろにいた癖に、強引に俺の前に割り込んでくる奴。結局改札くぐった後とか、エスカレーター降りた後とか、ゆっくり歩いたり、立ち止まったりするんじゃねえか。
電車降りる時とかも、停車前から無理矢理ドアのところまで人混みかき分けてきて、一番前に来る奴とか。逆に、新宿とかでスゲー沢山人降りるのに、入り口付近でつり革掴んだまま、流れに逆らおうとして必死な奴とか。

コンプレックスが強いから、絶対に「敗北」とか「劣等感」を感じまいと必死。必死だからよけい敏感になる。そうやって無意味に思考回路を閉ざすからー。
別にエスカレーター無理矢理割り込まなくたって、誰もお前を敗者だとは言わないぜ。


って、前振りが長いけど、俺が言いたいのはそんな日常レベルのバカの話じゃない。
こないだ、道を歩いてると、5才くらいと思われる男の子と、彼を連れた母親の二人組が、狭いとも思えない道を一杯に占領しながら、ゆっくりと道を歩いていた。俺は例によって、「内の子供はこんなに可愛いんだから、道を譲らなくても仕方ないでしょー」的な母親で、この子供も、幼くして上手く母親の心情を読み取りつつ、コントロールしている生意気な糞ガキかとおもってたら、意外や意外、子供の方が俺に気がつき、道を空けてくれたのだ。母親から離れ、母親と子供の間には丁度人が通れるくらいの道が出来た。

「サンキュー、疑って悪かったな、お前、将来モテるぜ」

心の中で少年に礼を言いつつ、道を通ろうとしたが、信じられない事が起こった。母親が、フと俺の方に目をやり、あわてて子供の手を取り、再びその道は塞がれた。決して子供が危険にさらされた訳ではない。俺は道を空けてくれと言う気力を失い、数十メートル、交差点に辿り着くまで、ゆっくりと、時に立ち止まりながら彼らの後ろを歩いた。子供は何度か道を譲ろうとするが、母親がガッチリ手を繋いで話さない。
俺は

「信じられない、こんなバカな母親、いるはずが無い」

とは思わず、こんなバカ親に育ててもらわないと生きていけないこの子が可哀想でならなかった。あの母親は、きっとすぐに怒るだろう。子供はいつも母親に叱られないように、常に母親の顔色を見ながら暮らしている。だから後ろから大人が来ても、その大人の顔色を窺うことが出来た訳だ。
これで結果オーライ?違う。彼には既にアダルトチルドレン的傾向が観られる。例え利口に育ち、他人より頭が良く、運動も出来るようになったとしても、常に自己評価が低く、他人の目を気にしながら生きていく人間になってしまう可能性が高い。
そうした人は、普通の幸せを感じ取る能力が低い。それは不幸だ。恋をしたとしても、ひたすら相手の顔色伺い、尽くし、振り回されてしまう。

そもそも、あの母親が「絶対負けないパーソナリティー障害」である事がいけない。気付くのは本当は何歳からでも遅くない。別に良いじゃないか。歩いていて人に追い越されるくらい。


最近、強く思うようになったこと。
他人より優れていなくても、それでも幸せだと感じられる能力があれば、本人は幸せに違いないのだ。
↑この文章では、俺の本当の気持ちを誤解されそうだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」って言葉には、全然共感持てない癖にね。